[研究所1]
>>あのねさん
僕は今自分のブログとジムさんのブログで持論を展開していますが、妨害を恐れて自分のブログは今のところ公開していません。ジムさんは何か所用があるのか、ここ数投をアップしてくれていません。私も堂々巡りで考えを深めていくので、読み手は繰り返しの部分が面倒だと思いますから、もうアップしてくれないかもしれません。そうなると私のブログを書き込み禁止処置をして確定させて公開するまではntES仮説はわかりにくい説になるだろうと思いますね。そもそもが僕自身が検討中の説ですからね。
[研究所2]
あなたの疑問は私の疑問でもあるんです。ジムさんにも連絡していますが、そこのリンク先にryobu-0123のブログがあります。これがジムさんのブログかどうかは知りませんし、聞いてもいませんが、ここの書き手はガンバレに時々書き込まれている渋谷さんで、一度コンタクトがありました。僕の説は面白いから自分でも採用して書きたいとおっしゃるので、僕はその頃"したらば"で便所の落書きのつもりで書いていましたから、社会的影響のある場所で僕の名前は出さずに自分の責任で書いていただいた方が反ってありがたいと申し上げましたが、なんかやはり正直な方なんでしょうね。それでは嫌だったのか私のしたらば書き込みを紹介されています。ここに今あなたのおっしゃった若山さん側のリクルート問題に絡めた推測が書かれているんです。
[研究所3]
ご承知の通り、若山さんは2012/4/1に正式の山梨大教授に就任されている。しかし、研究拠点はそのまま理研に残し、客員TLとして研究を続けていた。それが小保方さんの手記に言うところの"幹細胞株化"研究ですね。その間に山梨大に研究所が建設されているんです。僕はずいぶん以前にこの山梨大の建物の2012年度の入札公示広告を見ていますが、今失って探せなくなりました。建物は後になって計画されているようなんですよね。僕はこの小保方細胞核使用ntES実験は基本的に小保方さんをヴァカンティの手から解放して、山梨大に彼女を連れてくるために一時的な嘘になっていたものだという本線は動いていませんが、それだけでは弱いと感じています。
[研究所4]
僕はできるだけ善意に解釈したいのでその動機に自分の昇進待遇の問題がありそうだということはうすうす感じていたんですが、ここに至って自分の説にやや動機理解の弱さを感じるようになっています。渋谷さんは僕の持論展開を見ながら、そこに自分の意見も加えておられる。そこでは研究所所長に決まったことに関しての意見がある。僕の意見とはちょっと違いますけどね。僕は事前に研究所所長まで決まっていたら2012/4/1には引っ越しできていただろうと疑義している。最初から兼務が決まっていたわけではなくて後から追加されている可能性もあるんです。あなたお調べになったらどうですか。
[研究所5]
>思うのは時系列的な私の誤読でしょうか?
誤読です。ここは小保方さんの勘違いのあるところでしょ。気づかれなかったですか。注意深く読み直されてください。
>>
理研CDBでのPI(ブリンシパル・インベスティゲーター)と呼ばれる研究室主催者のポジションは基本的に任期制になっている。私が若山研に客員研究員として在籍しているとき時、若山先生はちょうど10年の任期を終え、実験中に「就職活動はなかなか難航している」というお話を耳にすることもあったが、翌2013年の4月からは無事、山梨大学の教授に就任することに決まったと、研究室のメンバーに連絡がされた。理研での若山研は2013年の3月で一旦解散となる。若山先生は私を「山梨大学の助教のポジションを用意しているから一緒に来てほしい」と熱心に誘って下さるようになった。(92P-93P)
[研究所6]
理研の自己調査報告で若山さんは2012/4/1に正式に山梨大の教授に就任していて、理研での立場は客員チームリーダーに変わってますよね。小保方さんは<若山先生はちょうど10年の任期を終え>と書いてますが、終えてしまったら理研にはいられませんからまだ終えてない。だから<終え>は<終えるから>の意味で<次の就職先を探す活動をしておられた。>と繋がっているんです。若山さんが<実験中に「就職活動はなかなか難航している」と>言ってた時期は2012年ですね。なぜかと言うと<翌2013年の4月からは無事>と書いているので、こういう話を交わしたのが2012年のまだ任期の切れない2012年1月から2012年の3月の間のことだと分かる。2012/4/1からは彼は既に正式な山梨大教授です。でも小保方さんはそれを知らない。
[研究所7]
<翌2013年の4月からは無事、山梨大学の教授に就任することに決まったと、研究室のメンバーに連絡がされた。>のが2012年の3月の少し前だと分かりますね。1年間猶予があってここからラボの研究者たちは次の就職先を探すんですね。だから李は2012年の8月に帰国したんです。小保方さんはラボの客員にすぎませんから詳しく説明を聞かされていないので<翌2013年の4月からは無事、山梨大学の教授に就任することに決まった>と勘違いしているんです。若山さんは2012/4/1からすでに山梨大の教授で、山梨大の研究所建設を待って1年後に理研を引き払うことになっただけです。
以上です。ここに誤読があるとあなたのいろんな推測も変わりますね。修正されてから他の問い合わせをもう一度願います。
[研究所5](引用文抜け訂正)
>>
理研CDBでのPI(ブリンシパル・インベスティゲーター)と呼ばれる研究室主催者のポジションは基本的に任期制になっている。私が若山研に客員研究員として在籍しているとき時、若山先生はちょうど10年の任期を終え、次の就職先を探す活動をしておられた。実験中に「就職活動はなかなか難航している」というお話を耳にすることもあったが、翌2013年の4月からは無事、山梨大学の教授に就任することに決まったと、研究室のメンバーに連絡がされた。理研での若山研は2013年の3月で一旦解散となる。若山先生は私を「山梨大学の助教のポジションを用意しているから一緒に来てほしい」と熱心に誘って下さるようになった。(92P-93P)
以上です。コピーすべきところ切り取ってしまった。
- 2019/06/01(土) 10:54:22|
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